どうしようもないこともあるけれど。
悲しい話
今朝、通り魔事件のニュースを知りました。
被害にあわれた方の中で、命を落とされた方もいるとのことです。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
犯人は自害したということで、いよいよ始末に負えない話だ、と思っています。
一寸先は闇
仕事柄、「事件」と呼ばれる出来事に首を突っ込むことが多いと思っていますが、ゲームで一喜一憂したり、一喜一憂できなくてもぐちぐちゲームして過ごしたり、そんな時間を持てていることは有難いことなんだなと噛みしめています。
「平凡な日常」がある幸せとでも言いましょうか。
攻めがうまくいったとか行かないとか、そうやってギラギラしてること自体、幸せなんですよね。
なにもかも、ずっとこのまま平穏に続く保証なんてないから、過ぎていく時間を大切にしたいなと気づかされています。
加害者にもならぬよう
殺人事件(故意犯)でも、交通事故(過失犯)でも、誰だって被害者にはなりたくないはずです。
もちろん私も被害者にはなりたくありません。
同時に思うのは、被害者になっちゃう以上に加害者にはなっちゃいけないということです。
私も車を運転する事が増えたので、自分の体調(特に睡眠不足)には敏感になりました。
事故は起こすつもりがなくても注意力低下で起こしかねないので、自分で自分を疑いたくなるような要素を極力排除するよう心がけています(運転前日はがっつり寝るとか、運転用の眼鏡を作り直すとか)。
あとは、「運転の目的地に遅刻しても謝って怒られよう。運転中に焦ることはない。たどり着ければ十分だ。」と自分に言い聞かせて運転しています。
他人を轢き飛ばしてまで急ぐ必要のある用事なんて、ないですから。
家庭でも、学校でも、職場でも、友人関係でも、思い通りにいかないことのほうが多いんじゃないでしょうか。
少なくとも私は思い通りにいくことなんてなかなか巡ってきません。
ストレス源は人それぞれでしょうが、みんな色々ため込んでますよね。
でも、私は、間違っても、自分に溜まってしまったどす黒いものを他人にぶつけて発散するような真似だけはするまいと思っています。
「戦うべき相手は他人なのか自分なのか」を見誤っては何にもならない。
色んな締め切りに追い込まれて変な笑いが漏れ出ている自分に気づくと相当気持ち悪い危険じゃないかと思うこともあるこの頃ですが、だからと言ってそれを誰かにぶつけても何の解決にもならない。
ぐだぐだまとまらない文章になってしまいましたが、
自分が不幸だとか、境遇だとかを理由に、他人を害していい理由にはならない。
と、改めて思っています。
しょーもない自分から始末しろ
とらえようによっちゃ、人間、生きてる限り何かと戦い続けているのかもしれません。
そうだとしたら、くだらないことを考えちゃう弱い自分と戦って、そいつをぶちのめすってことが、生きていくってことなのかもしれません。
ぶっ殺〇なんていうなら、しょーもない自分からぶっ〇しちゃえばいいと思います。(あくまでも弱い自分を叩きのめすって意味で、自害しろなんて言う気はありません。)
クラクラで全壊取れたとか、友達ができたとか、犬のうんこふんじゃったとか、アイス買ったら当たりがツイてたとか、恋人に振られたとか、生きてなきゃ何にも起こらない。
今日も明日も明後日も、これからずっと、死ぬまで、くだらないことを考えそうな自分を叩きのめし続けよう。
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